
| 大佛・大圓寺 32世住職 波多野 聖雄 | |
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私事で大変恐縮ですが、私の家系は平安時代からの侍で、天保9年、ある事情により僧侶となり以来、3代4人 浄土宗の僧侶を続けているものです。
福岡県には2372ヶ寺ありながら、なぜ五重塔は無いのか。古代大宰府の観世音寺は別として福岡市にはその記録も無く、唯、
大圓寺の故地である福岡市早良区西入部の広大な大圓寺跡の字地名が「黒塔」「白塔」であったことにより、その痕跡を想像するしかありませんでした。
当時、九州には佐賀県基山に元九電社長の佐藤篤二郎氏が建立した「鉄筋コンクリート製」の五重塔があるのみでした。 私は将来の都市化、核家族化を見越して、大納骨堂を建立しようと考え、世話人に話しましたが、180軒の檀家寺では必要なしとの意見でした。
それでは何とか自力でと思いましたが、非力はどうしようもありませんでした。銀行から借入金をするにしても、総代世話人の 個人保証、又は寺院境内で売却できる別筆の土地がなければ担保にならないからと貸してはくれません。それでは住職自身が財力
を蓄える外はありません。そして日夜、可能性を考えました。 昭和45年大阪万博の古川パビリオンの七重塔の払下げ3500万円も検討しましたが高嶺の花でした。昭和49年、
尼崎市日蓮宗本興寺が2億円かけて木造三重塔を作り、その地下に納骨堂を作って、「この塔を見上げて、市民がほっと心が安らかに なってくれれば私の願いは達成されたものと同じです。」と言う有原日耕住職の言葉を聞いてから、実現の可能性と「機縁」の
大切さを教えて戴きました。 私は高僧でもなく学問僧でもなく、ましてや霊感もない凡僧です。しかし、それなりに考え抜きました。昭和50年3月1日、
2mの真紅の蛇が本道裏の五重塔建立予定地にもぐりこむ夢を見ました。その日注文していた五重塔の文献がどっと着荷しました。 私の腹は塔建立にかたまっていきました。
紆余曲折の後、昭和53年末に銀行との話もつき、清水建設の設計により施工できる段取りとなりました。昭和54年1月22日、
透き通るような晴天の日、地鎮式を挙行することが出来た事は何よりの喜びでしたが、問題は山積みの状態でした。 ともかく昭和54年9月23日に塔院は完成しました。塔は時期を見てということで先送りとなりました。 昭和60年2月、地元の工務店を使って五重塔をと勧められ、木造百十尺塔を宮大工に頼みましたが、昭和61年倒産し、西日本新聞の三面記事になりました。
それからは「忍辱」の一時期でした。檀信徒はそうでもなかったのですが、お寺方の批判は相当なものだったようです。しかし、私は、 仏、菩薩、諸天、善神のご加護を深く信じ、必ず有識者の援助があると確信していました。それ故に挫折感も味わわず、
健康でいられた由縁ではないかと思いますし、金銭的な迷惑も外部に全くかけなくてすみました。
世は平成となりましたが、なかなか着工のめどはつきません。清水建設、竹中工務店、鹿島建設に一応86尺木造五重塔の見積もりをお願いしました。
これも機縁でしょうが、武田正鹿島建設九州支店次長の肝煎りで建築を請け負ってくれることになりました。設計は 木造塔以来の付き合いの猪ケ倉安雄一級建築士で、五重塔に関しては真摯な態度でよく勉強していただき、又、私の意向を充分に
加味して平成の新塔に情熱を傾けてくれました。 実際の木工事は、聖徳太子が四天王寺、法隆寺を建立するために大陸より招聘した四棟梁の内の筆頭棟梁、39代目金剛利隆氏の
金剛組(創立:飛鳥時代)が担当し、私の最も念願とした飛鳥白鳳時代の伝統が平成の世に活かされることに、この上もなく感激した次第です。 木材も願いどおり能登半島の「档」を2つの山から厳選して製材しました。 平成5年3月副住職も決定し、銀行との借入金の話し合いもつき、平成5年11月1日、ついに五重塔の地鎮起工式を挙行
するに至りました。発願して20数年、波乱万丈の年月でした。当日はうすら寒い曇天でしたが、一瞬雲間から陽光が差したことを記憶しています。 平成7年5月下旬に外観の全貌が完成しました。中に奉安する「仏舎利」も整っています。福岡ドームやシーホークホテルをバックに
中央区に屹立するベンガラ色の五重塔、古代ペルシャ風の天女が舞う黄金の相輪。人々はどう感じてくれるでしょうか。白けて、殺伐とした 世相の今、五重塔の美しさにひかれて「凍れる音楽」と称したブルノー・タウトのような人物がでるでしょうか?
一人でも塔を眺めて「心休まる人」がでれば私の所期の目的の1つである「仏教に機縁」をつくることが達成されるのではないかと思われます。 「1人では何もできない。しかし、1人が始めなければ何も完成しない」という座右の銘をおいて後十年、75歳迄、仏教的機縁をつくり続けてゆきたいと思っています。 『木造三間五重塔姿』:二重基檀 組物三手先 二軒繁垂木 銅板葺 亜鉛鍍金鉄円柱芯 |
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| 福岡で初めての五重塔に千年の祈りを込めて | 合掌三拝 |